7月15日
今日も海に来ています。今日も地中海は綺麗です。
遠くに来てしまった。日々,距離が離れていきます。
何が間違っていたのか,と考えようとすると,どうしても「始めからどうしようもなかった」という結論にたどりつく。
今でこそ,自分勝手にわがまま気ままに自由を求めている僕なのだけれど,そんな僕でも中学校までは,あの軍隊のような学校社会に隷従していたのだ。そのような機構がある以上,行き着く先は一つしかない。それ以外の行き先は僕には考えつかない。
ישראל に来て,衝撃的だったことはいろいろあるのだけれど,その中でも一番の衝撃は"אני אוהב שוקולד"という曲の歌詞だった。この子供向けの曲は,ישראל に生まれた人なら誰でも知っているだろう曲で,実際,この前 ים כנרת のほとりでたまたま会った teens に「日本から来たの? יברית の歌を教えてやるよ」と言われて「教えてもらわなくても歌えるもんね」と言って歌ったら大ウケだった。
その曲は,אני אוהב שוקולד
(私は chocolate が好き)から始まって,お菓子,季節,家族,友達,と,自分の好きなものを色々と列挙していくもので,単語の暗記にちょうどいい。歌詞の最後は, אבל הכי הכי הרבה אני אוהב אותי.
いろいろ好きなものはあるけれど,でも,私は一番一番とーっても אותי が好きだ。
これを習ったとき,僕は אותי という単語を知らなくて,なんとなく代名詞な匂いがしたので,「『みんな』とかかな」と類推していた。のだけど,ちゃんと意味を調べてみると,「自分自身」という意味だった。Coordinator はあっ,この概念に対応する日本語って無いんだ……。"self-confidence" だね,とさらっと流していたので,彼の育った United States でも当たり前の考え方なのかもしれないが,僕にとっては全く新奇な体験だった。僕には,子供向けに「一番自分が好き!」などと歌うことが想像できなかった。日本の子供向けの曲で,自己肯定感を取り扱ったものを僕は知らないし,そういう曲は日本では歌われ得ないだろう,と,なお思っている。
僕は子供の頃,自己肯定感を欠いていたように思う。やっと自己肯定感を持てたのは,以前にも書いたと思うが,高校に入って全国模試を受けた後だったと思う。そういう objective self-confidence というのは vulnerable である気もするが,少なくとも僕の場合はその後,大学合格などの目標達成によって強化され,さらに鬱病を経ることで,内在化されたのだと思う。翻って,そういう能力を持たない人間,正確に言えば「客観的な指標を得ることのできない日本の子供」は,どうやって self-confidence を得るのだろうか。僕の小中学校の同級生達はどうやって得たのだろうか。日本の大人は,もしかして,いや, self-confidence を持っているのだろうか。
結局,日本では自己肯定感を持たせないような教育が行われていた(いる)のだと思う。なので,着地点は一つしか見えない。
それは,あの頃の僕の周りにいた大人たちに対して,今の僕が抱いている,怨み,のようにも感じられる。
海から帰ってきてゆっくりしていたら,色々考えてしまって,明日ちゃんと書くけどそのまえに走り書きしておくか,と思って書き始めたら最後まで書き終えてしまった。日本のことは忘れてしまおう。
忘れないようにもう一言だけ bed の上から書いておくと,安倍首相に批判を集中させるのは次の総選挙のことを考えると危険な気もするけれども,それでもそれが有効なのかな。
Comments
suikyo 2015/07/16(Thu) 22:17:36
私は大人になった今でも自己肯定感はあまり高くないと思います。でも、子供の頃は自分の存在自体が呪わしく思われましたが、今はそこまでではないです。
少し前に5歳児が、大人の女ではあなたが一番好きだと言ってくれるので、いくつかカテゴリーを変えて尋ねたら、自身が含まれるカテゴリーでは自分が一番好きだとなんの躊躇もなく答えたので、ちょっと衝撃を受けました。
今の日本の、他の子供たちがどうなのかはわからないです。
悠歩 2015/07/21(Tue) 18:46:35
さわやかな曲でした!そせて 。 。
悠歩 2015/07/22(Wed) 08:11:09
イスラエルに行ってみたいなということ、加古隆いいなということ、みんなが自己肯定感を持てる世界になればいいなと思います。(わけのわからないコメントをすみませんでした。)